2010年3月29日月曜日

岡田博


岡田博(おかだ ひろし)

出版編集人、映画プロデューサー。
1949年1月19日福岡県北九州生まれ。
1989年、ワイズ出版創立。
石井輝男映画魂』『市川崑の映画たち』『沢島忠全仕事』『映画監督深作欣二』『映画の呼吸 澤井信一郎の映画作法』など、日本映画監督の本を多く出版。
その傍ら『無頼平野』『蒸発旅日記『美代子阿佐ヶ谷気分』などの映画を製作。
そして田丘広名義で『リアリズムと様式美 井川徳道の映画美術』『女優魂 中原早苗』などの編書もある。

ワイズ出版





2010年3月26日金曜日

ダーティ工藤(『石井輝男映画魂』監督)


ダーティ工藤(だーてぃ くどう)
監督、緊縛師。
1954年11月28日、北海道虻田郡倶知安町生まれ。
19才で上京後、浴びるように映画観る。
やがて映画評論家として活動を始め、「光と影 映画監督工藤栄一」「大俳優 丹波哲郎」(いずれもワイズ出版)を上辞。
1977年、人間狩りをテーマにした8ミリ映画『マッドハンター 恐怖の追撃』を初監督。
1999年、自伝的ドキュメンタリー映画『縄文式』と、仏メディカルアートの鬼才、ロマン・スロコンブの原案を元に撮影したキッチュな短編『AYAKOの退院』の二本立てを単館公開して、カルト的人気を得る。
その後、『殺人無頼帖』『縄文式2』『東陽片岡のカク!』『ふたつの女』『東陽片岡のあま~い生活』『東陽片岡のルサンチマン』などを製作・監督。
2010年、丸々2年の歳月を費やした故石井輝男監督のドキュメンタリー映画『石井輝男映画魂』を完成。
最新作は『ぴんくりんく緊縛篇』

2010年3月25日木曜日

石井輝男監督





石井輝男(いしい てるお)
映画監督。
1924年1月1日、東京府千代田区麹町生まれ。
1942年、東宝へ撮影助手として入社。1947年、新東宝の演出部へ籍を移し、渡辺邦男、成瀬巳喜男、清水宏などに師事する。
1957年、『リングの王者 栄光の世界』で監督デビューし、以後『スーパー・ジャイアンツ』『女王蜂』『地帯(ライン)』シリーズなどで切れ味のいい演出をみせて新東宝一の売れっ子監督となる。
1961年、倒産前の新東宝を離れ東映東京撮影所に籍を移す。
高倉健との初コンビとなる『花と嵐とギャング』を皮切りに、巧みなストーリー・テリングとモダニズム溢れる演出で、東映アクション映画に新風を吹き込む。
1965年には高倉健主演で『網走番外地』を監督し、シリーズ化される。
1968年からは『徳川女系図』に始まる東映京都の異常性愛路線を手掛け、その徹底したエロ・グロぶりに内外よりバッシングを受けるが、作品は次々とヒットした。その後も『忘八武士道』『直撃!地獄拳・大逆転』など、石井輝男テイストあふれる作品を監督するが、1979年の『暴力戦士』を最後に劇映画から遠ざかる。
1993年、つげ義春原作の『ゲンセンカン主人』で、14年ぶりに劇映画に復帰し、1995年には集大成ともいうべき『無頼平野』を監督する。
その後、石井プロダクションを立ち上げ、『ねじ式』『地獄』を製作・監督。
遺作となったのは、やはり同プロによる『盲獣VS一寸法師』である。
2005年8月12日、肺癌にて急逝。
享年81。







2010年3月24日水曜日

三ツ矢歌子氏




三ツ矢歌子(みつや うたこ)
女優。
1936年、大阪府堺市生まれ。
1955年、第4期スターレットとして新東宝へ入社。
同期に北沢典子、原知佐子(当時は田原知佐子)、万里昌代、朝倉彩子らがいる。
1956年の『君ひとすじ』で女優デビュー。
新東宝のマドンナとでも云うべき存在で、貴重な清純派として同社の倒産まで出演を続けた。1961年の新東宝倒産後はテレビに活動の場を移し、主に昼ドラマで活躍し、昼メロの女王と呼ばれた。
石井輝男監督のお気に入りで、『肉体女優殺し 五人の犯罪者』『スーパー・ジャイアンツ』シリーズ、『天城心中 天国に結ぶ恋』『戦場のなでしこ』『黒線地帯』と多く出演。
1960年、小野田嘉幹監督と結婚。
2004年3月24日、肺炎のため死去。
享年69才。

2010年3月23日火曜日

丹波哲郎氏


↑左・丹波哲郎氏、右・石井輝男監督


丹波哲郎(たんば てつろう)
俳優。
1922年、東京府豊多摩群大久保町字百人町(現:東京都新宿区百人町)生まれ。
中央大学法学部卒業後、創芸小劇場、文化座を経て、1952年、『殺人容疑者』で主役デビューし、新東宝に入社する。
その後は脇役ばかりの日々であったが、敵役、悪役として主演俳優を圧倒してしまうほどの強烈な存在感を見せた。
1960年、フリーとなり盟友となる当時フジテレビのデレクターの五社英雄とコンビを組み、アクションドラマ「トップ屋」で注目される。
同じ五社によるテレビ時代劇「三匹の侍」でスターダムにのしあがり、フリーの立場を生かして、主役や準主役として多数出演した。
『第七の暁』『五人の軍隊』『007は二度死ぬ』外国映画などにも重要な役で出演、『人間革命』『砂の器』『大日本帝国』『二百三高地』などの大作、話題作への出演も多い。心霊学と霊界に深い造詣を持ち、自ら霊界の宣伝マンと名乗った。
だが、2006年9月24日、肺炎のため自ら霊界へと旅立った。
享年85才。







2010年3月19日金曜日

名和宏氏





名和宏(なわ ひろし)
俳優。
1932年、熊本県熊本市生まれ。
1954年、新生日活の第1期ニューフェイスとして入社し俳優デビュー。
期待の新人として『怪傑耶茶坊』『地底の歌』などで主演するが、石原裕次郎の台頭により路線変更した日活を去り、1957年、松竹京都へ移籍する。だが、再び主役の座はめぐって来ず、1963年フリーとなる。
以後、重要な脇役として映画、テレビで活躍する。映画では『仁義なき戦い』シリーズの村岡組長、『温泉スッポン芸者』『温泉みみず芸者』の竿師段平役が忘れ難い。
石井輝男作品には『緋じりめん博徒』『やさぐれ姉御伝 総括リンチ』『直撃地獄拳2部作』などに濃いキャラクターで出演した。

2010年3月18日木曜日

荒井美三雄氏




荒井美三雄(あらい みさお)
監督。
1938年、東京生まれ。
東映の京都撮影所に配属され、今井正、田坂具隆、石井輝男、中島貞夫、工藤栄一などに助監督としてつく。
「異常性愛路線」では、バッシングのなか石井を強力にバックアップ。
『徳川女刑罰史』では脚本にも参加し、熱烈な石井輝男信奉者となる。1969年の監督デビュー作『温泉ポン引女中』で、土方巽一派を出演させて親交を深める。
1973年、関西で初めての土方巽自身の出演による舞踏公演を京都で実現し、舞台撮影を行う。
2003年、新たなパートを撮影して『土方巽 夏の嵐』として完成させ公開した。

2010年3月17日水曜日

本田隆一氏



本田隆一(ほんだ りゅういち)
映画監督。
1974年、神奈川県生まれ。
大阪藝術大学卒業後、日本大学に入学し映像藝術を専攻。
卒業制作として監督した16ミリ長編『東京ハレンチ天国 さよならブルース』が、2001年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門でグランプリを受賞。
その後、商業映画に進出し、『戦 IKUSA』『ハヴァ・ナイスデー』『GSワンダーランド』などを監督し、そのキッチュでポップな感覚で注目を集めている。
石井輝男の信奉者であり、遺作となった『盲獣VS一寸法師』では、実質メイン撮影を担当した。

2010年3月16日火曜日

下村健氏




下村健(しもむら たけし)
映画ライター。
1963年、千葉県生まれ。
1990年代の終わり頃に、石井輝男と知り合い、以来、主に宣伝担当として石井プロのスタッフとしてかかわる。
日本映画、特に1970年代以前の作品に造詣が深く、名画座や自主上映会などでのトークショーの司会を多数務める。
現在、自主上映サークル「シネマトライアングル」を仲間と主宰している。

2010年3月15日月曜日

岩井澤健治氏




岩井澤健治(いわいざわ けんじ)
アニメーション作家。
1981年、東京生まれ。
高校卒業後、映画の現場をいくつか転々としたのち、その経験を生かしアニメーションの制作を始める。
2008年に初作品「福来町、トンネル路地の男」を完成させる。
晩年の石井プロにボランティアスタッフとして、『地獄』『盲獣VS一寸法師』に参加する。
病床の石井輝男を看護スタッフとして見守り、その記録「石井輝男闘病日記」を自主出版した。

岩井澤健治のHP

2010年3月12日金曜日

佐野史郎氏、石川真希氏




佐野史郎(さの しろう)
俳優、映画監督。
医師である父親がインターン勤務で山梨にいた関係で1955年山梨市に生まれる。
1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創立メンバーとして参加。
1980年、唐十郎主宰の「状況劇場」に移り、1984年まで在籍する。
1986年、林海象の『夢みるように眠りたい』の主役で映画初出演。
1992年、テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の冬彦役で、大ブレークする。
以後、映画、テレビに得難い演技者として多数出演する。1995年から、竹内銃一郎と隔年活動の演劇ユニット「JIS企画」を組んで、本多劇場をメインとして活動している。
石井輝男作品には『ゲンセンカン主人』『無頼平野』に出演し、独特の存在感を見せている。


石川真希(いしかわ まき)
女優、歌手。
1959年東京生まれ。
1978年プロスケーターとしてオーロラ・オン・アイスショーに所属。その後、1979~1985年まで唐十郎主宰の「状況劇場」に在団し、女優として全作品に出演する。
現在の夫である佐野史郎ともこの時代に知り合う。
演出家、山崎哲と組んだ「新転位・21」の舞台公演は15回まで続いている。
映画は『夢みるように眠りたい』で、佐野史郎と共にデビュー。
つげ義春原作映画の常連であり、石井輝男作品は『ゲンセンカン主人』『無頼平野』に夫と共に出演している。

2010年3月11日木曜日

twitterで募集します!




【募集】
2010年7月開催『石井輝男復活祭』(シネマヴェーラ渋谷)開催にあたり、twitter上のみで「石井輝男監督作品で観たい映画」を募集します!

ワイズ出版宛にファンの方、どんどんつぶやいて下さい!
4月中締切です。

twitter
http://twitter.com/

プログラムに反映できるよう検討いたします!!

よろしくお願いします。

砂塚秀夫氏




砂塚秀夫(すなづか ひでお)
俳優。
1932年、静岡県熱海市生まれ。
日本大学卒業後、劇団民芸の研究所を経て、1958年に俳優座養成所の第10期生となる。
在所中に岡本喜八監督に指名され、1961年に『顔役暁に死す』で本格的映画デビュー。
独特なセリフ廻しの味のあるバイプレイヤーとして映画、テレビで活躍する。
特に岡本喜八作品の常連として知られる。
1973年には、自身の企画・製作・主演による『毘沙門天慕情』を豪華スターをゲスト出演させて作り上げた。
石井輝男には『いれずみ突撃隊』以来、度々起用され晩年の作品『無頼平野』『ねじ式』にも顔を見せている。

2010年3月10日水曜日

水木薫氏




水木薫(みずき かおる)
女優。
1959年、神奈川県横浜市生まれ。
上智大学卒業後、1982年、スカウトされて日活ロマンポルノ『連続暴行魔 白昼の淫夢』で映画デビュー。
その後『襲われる女教師』『人妻暴行マンション』『団鬼六 生贄姉妹』などロマンポルノで活躍する一方、一般映画にも出演するようになり、『きけ、わだつみの声』『カンゾー先生』『呪怨2』『トニー滝谷』などで女優としての評価を高めて行く。
石井輝男作品では『ゲンセンカン主人』で主人公の女主人を熱演し、以後『無頼平野』『ねじ式』に重要な役で出演した。

2010年3月9日火曜日

ひし美ゆり子氏




ひし美ゆり子(ひしみ ゆりこ)
女優。
1947年、東京都中野区生まれ。
東宝俳優養成所を経てデビュー。
当たり役となったテレビ「ウルトラセブン」におけるウルトラ警備隊の紅一点、アンヌ隊員で大人気となり、その人気は今も世代を越えて引き継がれている。
東宝退社後の1972年以降は、『好色元禄(秘)物語』のような成人指定映画にも出演した。
石井輝男とは『忘八武士道』一本のみの付き合いながら、裸全開の体当たりの熱演ぶりが、石井ワールドに一輪の花を咲かせた。

2010年3月8日月曜日

橋本新一氏



橋本新一(はしもと しんいち)
プロデューサー。
1942年、東京都目黒区生まれ。
助監督として東映に入社後、石井輝男に師事する。
中でも脚本も手掛けた1974年の『直撃地獄拳 大逆転』は、石井に「新ちゃん、血のションベンは出たか」と問われた程の労作である。
その後、プロデューサーに転向し石井輝男監督作品『暴力戦士』や、角川映画製作、東映配給作品『白昼の死角』『スローなブギにしてくれ』『汚れた英雄』などをプロデュースする。

2010年3月5日金曜日

瀬戸恒雄氏



瀬戸恒雄(せと つねお)
プロデューサー。
1946年、神奈川県生まれ。
1970年東映入社。
1977年より企画部プロデューサーとして、映画、ビデオ、TV、アニメなど多岐にわたって数々の作品を担当する。
プロデューサーとしては『Wの悲劇』『修羅がゆく』など、企画として『ダンプ渡り鳥』『別れぬ理由』などがある。
石井輝男監督作品『暴力戦士』は橋本新一と共同プロデュース作品である。

2010年3月3日水曜日

内藤誠氏






内藤誠(ないとう まこと)
監督。
1936年、愛知県生まれ。
早稲田大学卒業後、東映に入社。
1965年の石井輝男監督『網走番外地』ではチーフ助監督を勤め、野田幸男と共に石井組のツートップとなる。
『不良番長 送り狼』で監督デビューを果たし、以後『不良番長』シリーズ、『ポルノの帝王』シリーズ、『番格ロック』などを監督してフリーとなる。
自主製作映画として『時の娘』『俗物図鑑』『スタア』がある。
児童映画『わたんべ』で文部大臣賞、『生きものと教室の仲間たち』で総理大臣賞を受賞。
著作に「シネマと銃口と怪人」「昭和映画史ノート」、翻訳に「ママ・アイラブユー」「マーロン・ブランド自伝」などがある。

2010年3月1日月曜日

原口智生氏




原口智生(はらぐち ともお)
特殊メイクアーティスト、映画監督、特技監督。
1960年、福岡県生まれ。
祖父に映画録音技師の下永尚がおり、そのため幼少期から東宝特撮の現場に入り浸る。
和光大学中退後、1979年、造形工房モンスターズに所属。
1984年に独立し特殊メイクアップ工房FUNHOUSE(現:中州プロ)を設立、その後『ア・ホーマンス』『ソナチネ』『平成ガメラ』シリーズなどで活躍する。『ミカドロイド』『さくや妖怪伝』など映画監督としても定評がある。
1988年にはベルギーのブリュッセル国際ファンタスティック映画祭スペシャル・メイクアップ・コンペティションにおいてグランプリを受賞。
また、2001年カナダのモントリオール世界映画祭ファンタジア2001コンペティションにおいて準グランプリを受賞した。
 

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