瀬川昌治(せがわ まさはる)
監督、脚本家。兄はジャズ評論家・瀬川昌久。
1925年、東京市神田区の官吏の家に生まれる。
学習院初等科、中等科に学び、一学年上に三島由紀夫がいた。
戦後、東京大学を卒業し当時ハリウッド式のプロデューサー・システムを導入していた新東宝の製作部に入るが、次第に演出に興味が傾き、1950年、助監督部に移動し、阿部豊、松林宗恵、中川信夫などに師事する。
石井輝男とは、助監督時代に先輩、後輩の関係であった。
やがて大蔵体制のワンマンぶりに嫌気がさして1957年に退社。
フリーのシナリオライターを経て、1959年、東映東京の契約監督となり、1960年、『ぽんこつ』で監督デビュー。
1967年、旧国鉄の協力を得て製作された『列車』シリーズは、渥美清の主演で好評を得る。
翌年、松竹の誘いを受けて移籍し、フランキー堺主演で同じ列車もの『旅行』シリーズを監督する。
監督デビューの直後から脚本家として参加していたテレビドラマには、1965年の『国際事件記者』から監督としてかかわるようになり、1970年代~1980年代には「赤い」シリーズ、「Gメン’75」などヒットシリーズを手掛けて、テレビドラマの黄金時代に大いに貢献した。